今年の公式行事のおしまいは、残念ながら(加藤)榮さん(’60)のお通夜だった。
寂しさと、死が身近であることを再確認させてもらった・・・ご冥福を祈る。
この一年、国の出来事(社会面のみ)を振り返ると「タガの緩み」と、思わざるを得ないような事故や事件が頻発した年であった。
- 高速道路管理(2015年ではない)
- 面振ゴム偽装(東洋ゴム工業)
- 東芝による不正経理処理
- 旭化成建材によるデータ流用
- 化血研未承認血清製剤の違法製造
- 点検直後のエスカレータ破壊
- 千葉県がんセンターのカルテ取りちがえによる乳房全摘ミス などなど
いずれも「あってはならないこと」である。
戦後70年、「もの作り現場における品質第一」は、日本人が総力を挙げて積み上げてきた「日本の強み」だったハズではなかったか?
「良き日本的経営」の喪失による「緩み」を生んでいないか?
「安全第一」「職務完遂」「品質至上」は何処へ行ったのか?
日本的経営の喪失は「日本(人)らしさの喪失」に繋がり「その結果が表面化した」と見るべきなのかもしれない?
これらの疑問は、あってはならない事故や事件の舞台となっている、組織や企業のあり方を洗いださないと原因だとか、その背景が見えてこない。
- 会社(経営陣=意思決定機関)と働く人達(社員)との意思疎通(合意形成など)が薄らぐ中での、スピード経営・・・ホールディングカンパニー制の普及と社員の「やる気」の希薄化
- 株主至上による近視眼的な利益第一主義経営・・・人件費を購入資材と同じコストとしてみる経営管理(非正規社員数の相対的増加とか、外注丸投げ体質の増長)
- 弱肉強食のビジネス世界を勝ち抜く知恵(オリジナリティ)の貧弱さ・・・イノベーションを採らない目先(日和見)志向の経営
などが、その底流として存在しないか?
その本は、日本人の良さでもあり、時に自分を見失う悪さともなる「進取の気性」・・・過剰なグローバル信仰、日本人の体質に合わない異民族思考の組織(企業)ルールを取り入れる余り、真の競争力の原点を見失い、人の力の結集が図れない様相を呈してきている。
いずれにしろ戦後70年はあと数日で終わる。これから始まる新しい時代が、新しい時代を生きる日本人にとって「豊かで幸せな」時代であって欲しい。
そのためには日本の最大資源である「経営陣と社員の力の結集」(チームワークOne for All/All for Oneの精神)による、勝利の図式をグランドデザインとして描きだす時に来ているのではないだろうか?