小林謙光 富士山資料コレクションを案内させて頂きます

初めて投稿させて頂きます71年度のOG宮城(旧姓小林)久美子です。この度、私の父が残したたくさんの富士山に関する資料(江戸期~昭和期)を、世界遺産センターが、2018年富士山世界遺産登録5周年を記念して<小林謙光 富士山資料コレクションー富士山を識る>と題して4月21日(土)~6月24日(日)まで展示して下さることになりました。(父の喜ぶ顔が浮かびます。)場所は静岡県富士宮市の富士山世界遺産センターです。お近くにお越しの際はお足を運んで下さいますようお願い申し上げます。

父は静岡県御殿場市出身、富士山の麓で生まれ自然(山、野鳥、植物)を愛し、神奈川県小田原市では玄関から富士山が眺められる家に住み、富士山を愛してやまない人でした。9年前に亡くなっても(小田原市内で)富士山を一番美しく眺められるお墓を探し、今もお墓から富士山を眺めています。そんな父は冨士講の研究をライフワークにして古書店を巡り富士山の古地図や絵はがき(7000枚に至ります)、書籍などを集めていました。生前は「あのゴミをなんとかしなければ世界遺産には登録されないだろう」と言うのが口癖でした。(残念なことに富士山が世界遺産に登録される前に亡くなってしまいましたが・・・)生前父は収集した富士山の資料は纏めて誰にでも見れる所に寄贈してほしいと話していましたが、寄贈先を決める前に亡くなりましたので浅間神社や縁のあった図書館を当たってみましたが、なかなか父の意をくんだ場所が見つからず思案していたところ静岡県富士山世界遺産センターが建造されることを知り2015年に収集資料すべてを寄贈させて頂きました。

小林謙光 富士山資料コレクションを案内させて頂きます」への2件のフィードバック

  1. へーーー、すごいお父さんだね。富士山マニアだったんだ!!
    受け売りですが1800年代初頭のころ富士講が盛んになり、一生涯で30回~70回(人生50歳前後の時代、江戸から歩いて)登った人たちが多くいたと、富士本宮の碑は記録していた。
    私も9年前、自宅から頂上まで歩いて登ったのですが、たった一回でもうねコリゴリ、当時の日本人にはとてもかなわない…根性の違いかな?
    何が、どう違うんだろう?
    天下のMGWV OBも大したことないね。

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